事例概要
1.株式会社abaは、介護へのテクノロジーの活用で、介護者・要介護者の精神的・肉体的負担の解決を目指すケアテック企業。パラマウントベッドと共同で排泄ケアシステム「Helppad」を開発し製品化。販売促進のフェーズに入った。
2.今後の事業展開のためには「Helppad」の営業促進と新たな資金調達の必要がある。特に販売計画は投資家が最も関心を寄せる事項。しかし、介護事業という息の長い分野においては、具体的な営業計画の説明が困難。そこで、リブ・コンサルティングによる営業支援とCVC(コーポレート・ベンチャー・キャピタル)からの投資についてセットプランでの提供を受けることに。
3.リブ・コンサルティングとともに営業手法を開発することで、投資家に向けて自信をもって対応できるようになり、新たな出資の内々定を受けることにもつながった。引き続きabaのミッションである「誰もが介護できる社会」を目指し、新たなプロダクト開発にも意欲を見せる。
事業のきっかけは「介護で自分の人生を諦めない」世界を実現させたい
権田 まずは、aba設立のきっかけと、どのようなことを実現しようとされているかの目的をお話しいただけますか?
宇井 原体験は、私が中学生の時に家族の介護者になったことです。
介護って、される側はもちろん、する側の負担も大きいんですよ。プロの介護職員でも、退職した7割が3年以内に離職しているといわれています。大変な思いをしている介護者がたくさんいるんですね。そういう方たちを支援することで「介護で自分の人生を諦めない」世界を実現させたいと思いました。
私が介護に関わった頃は「人のケアは人がやるべき」が大前提。テクノロジーを使って介護をするなんて「頭がおかしい」と言われるような時代でした。
でも、私は本当の意味で「介護」という分野が残るためには、テクノロジーが絶対に必要だと思い続けてきたのです。
学生ベンチャーとして起業。実証実験を経て「Helppad」製品化へ
権田 それで、千葉工業大学に進学して、学生ベンチャーを立ち上げられたんですね。
宇井 2007年にプロジェクトを立ち上げましたが、当時はもの作りのイロハも全然わからない状況でした。学生時代は「第0フェーズ」ともいえる時期だったと思います。
訪問した介護施設で、職員さんに「オムツを開けないで中が見たい」と言われたのが「Helppad」開発のきっかけです。オムツからの漏れや交換の空振りを減らすことで、介護者の負担も減らせるのではと考えたのです。
学部4年生の時、3.11の震災を期にパートナー企業たちから軒並み連携を断られ、「これまでのやり方を変えよう」と思い、大学に残って研究者の道を進むよりも、介護ロボットの製品化と普及に集中するために事業化することを選びました。それから「Helppad」を共同開発したパラマウントベッドと出会い、様々な形でメンバーが増えていきました。この時期がいうなれば「第1フェーズ」だったと思います。
権田 「Helppad」開発にあたっては、いろいろとご苦労もされているのではないですか?
宇井 排泄は、介護される側にとって「人としての尊厳」に関わる問題です。
学生時代は、研究室のツテで協力してくれる施設があったのですが、ベンチャー企業からの実証実験に協力してくれる企業がなかなか見つかりませんでした。
ようやく見つけた大阪の施設まで新幹線で通っていた時期もあります。実験機を置いて2週間後に再訪問したら、実は私たちが帰った2時間後に実験機が止まっていたなんてこともありましたね。現在では、千葉県船橋市の社会福祉法人さんたちにご協力いただき、定常的な実験ができていますが、こうした経験は全てabaの財産だと思っています。
結果的に20代全てを『排泄センサ』の開発に使いました。そんな予定じゃなかったんですけどね。
「事業がグロースできないのは自分のせいではないのか……?」経営者としての苦しみ
権田 先ほど「Helppad」の開発までが第1フェーズだとおっしゃいましたが、今は第2フェーズということでしょうか。
宇井 私はもともとエンジニア志望でした。経営者になりたいとは思っていなかったんです。しかし、2019年にベンチャーキャピタルからの出資を受けることで、ファンド期限を意識しながら事業をグロースする必要が生じました。自ずと「経営者」としての意識を持ち始めることになったのです。
そうは言っても、もともと介護ロボットは、そんなに早いペースで普及できるものではありません。でも、ベンチャー経営者の目線ではそれが許されない……自分の中でのせめぎ合いがありました。
権田 想定していた成果やスケジュール通りにならなかったということですか?
宇井 2020年に入ると、コロナの影響もあり知り合いの経営者の方が退くケースを、何件か立て続けに見聞きしました。ICCで優勝という喜ばしい出来事もありましたが、投資家からの出資に繋がらなかったのもショックでした。というのも、私が投資家やパートナー企業に向けて、abaの「事業プラン」を彼らに伝わる言葉できちんと説明できなかったんです。
製品を作り上げるまでは、気合いと根性で乗り切ってきました。でも、いざ製品を売る段階になると、どうしたら良いのかわからなくなってしまっていました。SIP(内閣府による戦略的イノベーション創造プログラム https://www8.cao.go.jp/cstp/gaiyo/sip/ )で何とかつなぎ融資を受けられましたが、資金面ではキャッシュアウト寸前でした。
「投資家から資金調達ができない経営者なんて、いっそいなくなった方が良いのではないか」と思い悩み、取締役会の経営メンバーや、監査役の先生にも「辞めたい」と相談しました。はじめて弱音を吐きました。そのくらい追い詰められていたんですね。
権田 宇井さんの辞意に対して、皆さんはどのような反応だったのですか?
宇井 本当にありがたいお話だったのですが、全員が「お前が辞めるのだったらそれはもうabaじゃない」って言ってくれました。これまで私は「自分1人がabaを引っ張っている」と思っていました。でも違いました。この件は結果的に「経営はチームみんなでやる」と、皆の求心力が高まるきっかけにもなりました。
同時に「abaのグロースには、私自身のグロースが直結する」ことを意識したタイミングでもあります。それまでの私は、肩書きこそ「代表取締役」でしたが、気持ちは違っていたように思います。しかし、この件を経て「名実ともに経営者になりたい」という気持ちがすごく強まりました。
「営業はサイエンス」リブ・コンサルティングの支援を受けてわかったこと
権田 どう営業して良いかわからなくなっていた中、リブ・コンサルティングの支援を受けるきっかけは何だったのでしょうか?
宇井 2019年から、事業のグロースについてアプローチをいただいていました。abaはまず資金調達が先に必要という状況だったので、そのことをお話したんです。すると、CVC(コーポレートベンチャーキャピタル)とのセットプランをご提案いただきました。「それなら、グロースと資金調達が同時にできる」と考えたのが決め手です。
権田 実際に、リブ・コンサルティングの支援を受けてみていかがでしたか?
宇井 私がこれまで持ち得なかった「営業手法」について、目を開かせてくれたと感じています。
本当に申し訳ないのですが、それまでの私は「営業」について誤解していたんです。汗水たらして営業先の数を回るのが「営業」だと思っていました。そんな先入観があったので、投資家たちから「Helppadをどう売るつもりなのか」と聞かれても、営業について具体的な説明ができませんでした。
だから、リブ・コンサルティングが「営業はサイエンス」と断言し、仮説検証を繰り返して、非常に論理的に進めていくのを見て、本当にびっくりしました。トークスクリプトについても、私が説明したことを直後から反映させて、介護施設の方に「この人は介護のことちゃんと勉強している」「もしかして介護施設にいたことがある?」と思わせるほどの内容を作りあげるんですね。セールストークが、実績に基づいて効果的になるようブラッシュアップされていくのを目の当たりにしました。トータルで5~6,000件も電話していただいたでしょうか。本当にありがたかったです。
権田 当社のコミュニケーションスペースの隣にテレマブースがあるのですが、総出でabaのプロジェクト担当がずっと電話していましたね。まるでabaの正社員として動いている感じでした。
宇井 リブ・コンサルティングの方々は、私が言ったことを、すぐに自分の言葉として話すだけじゃなく「仲間」として一緒に動いてくれました。
「abaではどんな職種でも全員がテクノロジスト、新しい仕組みを生み出す人であろう」と私は社員に伝えています。そういう意味でも「営業がサイエンスだった」と知ることができたのは本当に良い経験でした。
他の企業が諦めてもabaだけは諦めない
権田 世の中には多くのベンチャー企業があります。独自性のある事業を展開する企業が、証明活動を経てイノベーションを作ることができるか、abaは今その端境期にあると思います。これからの介護業界で、abaはどんな変化を生み出そうと考えていますか?
宇井 abaは「介護にテクノロジーを使う」ことが普通になる世の中を実現したいです。スマートフォンの普及もあり、この数年で人々は劇的に「テクノロジーがある生活」に慣れてきました。今の介護は記録も手書きで書くなど、一から十まで全てを手作業で行っています。そこから「テクノロジーを道具として使う」ことが日常になると嬉しいですね。
ぶっ飛んだ話ですが、介護職でもなければ、介護研修を受けたこともない人、それこそ子供でも「介護の専門性」を身に着けているかのような対応ができるようにしたいです。
例えば認知症の方が目の前にいたら、”認知症ケアを知らなくても”、abaのサービスからのレコメンドを受けて、適切な認知症ケアを展開できる。
10年後20年後には子どもたちが、
「いつもabaのサービスが教えてくれるやつ、あれって2020年頃は”認知症ケア”ってわざわざ言って、習った人しかできなかったんだってー。」
「習った人しかできないの!?それじゃあ認知症の人困っちゃうじゃん。」
「だから認知症の人の対応は、プロの介護職しかできなくて、認知症の人は施設に入ることが多かったんだってー。」
という会話をさせたいんです。
こうやって介護ができる人が増えて、住み慣れた町で、馴染みの関係の中で暮らせれば、
もちろん介護される側にもストレスがない。abaの理念のよく生きるを実現できる。
abaのソリューションやサービスで、この未来を率先して作って行きたいと思っています。
権田 ”Everyone,Everytime,Everywhere”ですね。「誰でもいつでもどこでも」介護ができるようになると。abaのこれからについて未来像を聞かせてください。
宇井 これまで「介護ロボット」はなかなか普及しませんでした。介護施設を訪問する度に、職員の方たちからの反応に、期待と諦めが入り交じっているのを感じていました。忙しい中でも彼らが諦めないで協力してくれたからこそ、abaの今があります。
初めて数千万円単位の融資を受けた時は、その金額にひるみました。でも、書類にハンコを押す瞬間、これまで関わってきた介護職の方たちの顔が脳裏に浮かんだんです。一縷の望みを持って対応してくれた彼らを、失望させちゃいけないって思いました。
だから、テクノロジーが介護を支援する未来を作ることを、他の企業が諦めたとしても、abaだけは絶対に諦めません。あらゆるヒトやモノに介護がインストールされて「介護している」とわざわざ言わなくなるくらい、みんなが介護できることが当たり前の未来を作り出したいです。