- 経営戦略
変革の舞台裏 CASE-1 MBAホルダー 二代目社長の苦悩
登場人物
二代目社長 松本 一也
●二代目社長/40代後半
●海外留学してMBAを取得した後に入社
●財務出身で、意思決定に関する話が好き
●アイデアマンで何よりもスピードを重視
●新しい価値観をどんどん取り入れていきたい
事業部長 井上 勇二
●営業の統括責任者/50代前半
●トップセールス、新規飛び込み営業の鬼 一代目社長に付き従ってきた
●プロセスを重視、現場の気持ちを何より大切にする
●物事はゆっくりじっくり決めて進めていきたい
●昔から大切にしてきた文化を守っていきたい
MBAホルダー二代目社長の就任
「わが社がこれから勝ち残るには、営業のやり方を革新しなくてはならない。欧米で最先端の手法であるし、事業計画シミュレーション上でも、新しい手法を採用すれば、売上成長率は倍以上違うという明確な結果が出ている。しかし社員たちは、本当にこの戦略の意味を分かっているのだろうか…」
松本は社長就任後、MBAで学んだ手法を営業組織に取り入れようとしていた。これまで松里商事は新規顧客開拓を中心としたセールスを得意としていたが、今後、新規開拓ができる先は限られてくる。そこで、提供する商品ラインナップを大幅に拡張し、既存顧客へのCRMの新たな仕組みを構築することで、売上拡大のための戦略を描いていた。
松本は、留学前、管理系の責任者を任されており、財務系の知識は抜群であった。数年ではあるが営業経験もあり、そこに欧米流の最先端知識を取り入れれば、会社を改革できると確信していた。また松本は、改革を行うためには社員のスキルを強化しなくてはいけないと考え、教育研修についても新たな内容を導入していった。
「過去の価値観はどんどん壊していかなければならない。新規顧客ばかりを求めるセールスは時代遅れ。既存のお客様から感謝いただく機会を増やすことがこれからの時代には必要だ。そしてこの改革を成功に導くにはスピードが全てだ。どんどん新しいことを取り入れて、会社を次のステージに導いていこう」松本は常にこう考えていた。
過去の成功体験から抜け出せない現場
「もうこんな時間なのに、半数以上の社員が仕事をしている…」
営業部門を率いる部長の井上勇二は、腕時計を見ながら、営業スタッフたちを心配そうに見ていた。
「社長がやりたいことは分かる。しかし、研修を受けてもすぐ成果を出せるわけではなく、長い時間がかかる。一方、営業部としては毎月の業績は是が非でも達成しなくてはならない。将来のことも大事だけど、数字が落ちては元も子もない。会長時代から大切にしてきた我々の強みを捨てるわけにはいかないし、何より、数字を上げるためにはこれまでのやり方を捨てるわけにはいかない」部長は、そう考えながらため息をつく。
「井上部長、お願いしていた資料はできましたか?」松本から井上へ声がかかる。改革のためにスピードを何より重視している松本からは、どんどん新しい指示が出る。一つこなしているうちにまた一つ。会議時間も増え、井上の疲労はピークに達していた。
一方、現場は井上以上に疲弊していた。
「今日もまた社長の欧米の話か。うちは外資系ではないし、何かが違う感じがするんだよな。それに数字の話ばかりで、現場のことを本当に分かってくれているのだろうか」全社会議の後に、ある社員が口にする。「そもそも、新規のお客様を開拓しながら、既存のお客様へのフォロー活動もするなんて無理があるよ。最近、今日みたいな会議も多いし。まあそんなこと考えるより、今日もやること満載だから、早く仕事に戻ろう」。また別の社員が口にする。
ここ最近、営業メンバーは遅い時間まで残業することも多く、社歴の浅いメンバーを中心に、不満を持って退職するメンバーも発生していた。毎月の目標数字は達成しており、一見順調のようには見えるが、実態としては、社長の描く戦略を実践しているとは言い難く、皆、疲弊しきってしまっていた。
次第に、会社の数字を支えるベテランメンバーにおいても退職者が発生。そのような風土の中、モチベーションを落とすメンバーも多く、お客様へのCS意識が高まるどころか、逆に以前より薄れてしまったのである。
解決すべき課題と対策の方向性
現状の整理
欧米流の手法を導入し、新しい風を巻き起こしたい社長と、やるべきことに追われ、疲弊している営業部隊。新しいことをやろうと躍起になっている人と、それについて行けずに立ち止まってしまう周囲、という構図はよくあることだが、松里商事では以下のような状況に陥っていた。
組織変革を阻むハードル
組織変革に際しよく起こりがちなケースであるが、松本社長はどうすべきであったか。まず同社において組織変革が進まない要因を考えると、次の三つのハードルが存在すると想定される。
第一に、「将来への危機感の不足」である。松里商事の場合、現状で倒産の危機があるわけではなく、見ている視野の違う社長と社員では、危機意識に大きな差があると想定される。社員によって差はあるだろうが、変革への動機を持つ社員は少ないと想定される。
次に、「新戦略による成功事例の不在」である。同社にはこれまで成果を重ねてきた確固たる手法があり、それが今でも有効である一方で、新たな手法はまだ成果が出るかどうかが明確でない。それゆえ社員はどちらも両立させようとせざるを得ず、やるべきことがあふれてしまい、結果的に短期成果を出すために過去の戦略にとらわれてしまっている。
最後のハードルは、「社長に対する心理的ハードル」である。先代社長に付き従ってきたベテラン社員は、新たに打ち出されたことが昔の古き良き文化を壊してしまうのではないかという不安を持ち、変革に対し、後ろ向きなイメージを持っている可能性が高い。
ハードルを乗り越えるための手順
以上のハードルをどのように解除していったらよいであろうか。ここではアプローチの一例を述べる。
まず、想定される三つのハードルの中で解決の糸口となるのは、「将来への危機感の不足」には個人差があるという点である。営業部隊の中で、すでに新規顧客が減り危機感の強いメンバーや、社長の想いに共感しているメンバーなど、少数でよいので、変革へ動機を持ちやすいメンバーを集め、パイロットチームを設立する。このチームにおいて、2点目のハードルである「新戦略による成功事例の不在」を解決すべく、成果を創出することが第一ステップとなる。成果を出すためには、例えば、新商品を追加販売する際に対象となる他部署の担当者を紹介してもらうため、紹介営業手法を身につけることが肝となるかもしれないし、紹介を受けようにも既存顧客の満足度が低い状態では協力が得られないため、人間関係の再構築が肝となるかもしれない。このような点を一つひとつ明確にしながら、現場上で成果を出すポイントを見出していくことがパイロットチームに求められる。
なお、その際に注意しておきたいのは、過去の戦略において何をコアバリューとして残し、何を捨てるべきかを明確にすることである。特に、やるべきことがあふれる状況を解決するには、捨てることの明確化が大切となるが、今回のケースでは、残すことの明確化が三つ目のハードルを解除する上でのカギとなる。
というのも、変革の次のステップでは、成果事例を武器に携えた上で、「社長に対する心理的ハードル」を持つメンバーを巻き込むフェーズに入るからである。会社の主力を占めるであろうこの層を変革するためには、過去を尊重するスタンスを持ち、じっくり話し合いながら、過去と未来を融合する作業が必須となる。欧米企業のように、人を次々と入れ替えることで変革のハードルを解除できる場合とは違い、伝統的な日本企業である松里商事においては、これまで会社の成長を担ってきたベテラン社員の意識を革新できるかどうかが肝となるため、以上のようなアプローチが有効であると考えられる。