- 営業戦略
急成長するSaaS市場は 法人営業がカギ
世界中で盛り上がるSaaS市場
世界最初のSaaSは、営業支援ソフトウェアのSalesforce だろう。2000年頃までB2BのソフトウェアといえばITベンダーに設計段階からゼロベースで企業用にフルカスタマイズ前提で発注するか、または、Microsoft のOffice シリーズ(Excel など)のように固定金額で買い取ってインストールするしかなかった。そこに、米国のSalesforce が営業支援用のソフトウェアをクラウドベースかつ定額課金制で提供するビジネスモデルを始めたことから今日に至る。
SaaSというビジネスモデルが世に出てから早20 年が経過するが、世界規模でこれほどSaaS 市場が活況になったことはない。 SaaS スタートアップへの投資で有名な米国のBessemer Venture Partners は、10 年前にはSaaSのユニコーン企業は皆無だったにもかかわらず、現在では50社を超えていると発表している。SaaS企業は、より大きく・強く・速く成長しており、その結果、2020年のグローバルのSaaS 市場は10兆円弱程度、日本は5,500 億円規模になる見込みだ。今、世界規模でSaaSモデルが急速に浸透拡大しており、その勢いをつけているのはスタートアップなのだ(図3)。
日本でも2018年には150社以上のSaaS スタートアップが合わせて550 億円規模の資金調達を実現している。大型調達も目立ち、2019 年6 月にはアプリ開発プラットフォームを開発するヤプリ社が30 億円、7 月には労務支援ツールを開発するSmartHR社が61.5 億円、8月にはマーケティング支援ツールの「b→dash」を開発するフロムスクラッチ社が100億円の調達を発表した。調達した数十億円規模の資金は、認知を得るためにタクシーや電車内の動画広告に投じられているようだ。
国内市場は過剰競争
国内でSaaS資金調達が活況ということは参入企業にとって追い風ではあるが、参入社数が多くなり競争が激化している。さまざまな領域のSaaS に対して多数の参入企業が存在し、完全にレッドオーシャンである。法人向けSaaSの比較・検索サービスであるボクシルSaaS を見ると、日本で展開されているSaaSはすでに3,000 近い。特に数が多いのは、人事分野。次いで、マーケティングやIT インフラ(サーバー管理、セキュリティなど)だ。人事系の中でも勤怠管理、研修などに細分化されており、細分化されたカテゴリーレベルでも数十サービスがひしめき合っていることは少なくない。(図4)
このように多数の企業が参入する背景には、SaaSを開発すること自体は技術的にそれほど難しくはなく、変動費率が低いことがある。一度プロダクトを開発すれば、一部機能を無料で使わせるフリーミアムモデルをフックに自然に有料会員を増やすことができ、売上が次第に増えていくようにも思える。つまり、かける労力のわりにリターンが大きそうだと認識されがちだ。
しかし、ここに大きな落とし穴がある。SaaSを導入しようと最初に考えると、スタートアップが中心になるのである。スタートアップ企業は全般的にIT リテラシーが高い人財が多いため、初期コストが低く・即時導入ができ・社内コストも低いというSaaSの特徴がニーズに合致しやすく、導入は理にかなっている。
実際、多くのSaaS企業の実績を見ると、多数の有名無名スタートアップ企業のロゴを見られるだろう。しかし、各社の規模も市場における社数も限られているため、早晩、売上成長が頭打ちになってしまうだろう。一番手に参入した企業がスタートアップ中心の営業で事業が立ち上がりかけた途端、市場全体の需要が十分に顕在化していないにもかかわらず、一気に後発企業が参入してしまう。結果的に、限定的な市場を数十社で奪い合うという消耗戦的な構図を繰り広げがちなのだ。
その上、その消耗戦も、都心の一部の企業群の中で繰り広げられているにすぎず、顧客獲得・維持コストに対するリターンが見合わないことも少なくない。そのため、ベンチャーキャピタルが算出した企業価値に見合う収益を上げるには、大海に漕ぎ出す必要がある。都心部の大企業や、地方の中小企業というマーケットだ。(図5)
モノづくり神話から脱却せよ
SaaSスタートアップが大海に漕ぎ出し成功することは簡単ではない。 そもそも、失われた30 年を経てもなお、営業を軽んじたり疎んじたりするマインドが日本人に強いのではないか。これまで幾度となく日本の製造業が経験した通り、「良いものを作れば自然に売れる」ことも起こらず、「今後の成長には営業が肝になる」とわかっていても、法人営業に全力でアクセルを踏めるスタートアップは少ない。リアルでもインターネットでも、日本人はモノづくりを始めたら、とことん突き詰めようとしてしまうようだ。
しかし、マス向けB2CならGoogleのように1 ピクセルにこだわる必要もあろうが、B2Bは違う。特に海外を見ると、B2Bはある程度のプロダクト品質まで到達した時点で、営業強化に大きく舵を切る。SalesforceもSAPもDellも、営業に注力して大きく成長した。B2Bは意思決定者が多く、意思決定プロセスも個社ごとに異なるため、放っておいても自然に売れることは決してない。そこには、泥臭い顧客開拓を通じてプロダクトを現場に届ける営業担当が存在するのだ。プロダクトは6~7割仕上がったら、現場に届ける方を優先したほうがいい。プロダクトの質をいくら高めてもエンドユーザーだけが意思決定者でないならば、質以外の要素が導入時に重要な要素になることが大半だからだ。
また、スタートアップと大企業や地方企業に横たわる溝は大きいことも、当初想定されるよりもSaaSが浸透しない理由だろう。SaaS を開発するような企業はエンジニアが多く、非エンジニアも世の中的に平均以上のIT リテラシーを持つことが多い。一方、日本の小規模事業者は最近でも「(IT 機器やサービスを)導入できる人財がいない」「導入効果がわからない」といった悩みを抱えている。ゆえに、SaaSを世に発表しただけでは、スタートアップ界隈のごく小さなシェアにとどまってしまうのだ(図6)。
時間勝負
実は一番手企業にとっても後発企業にとっても最大の脅威は大企業である。技術的な参入障壁が低く、コモディティ化しやすいため、ある程度普及し始めたら、GAFAM のような大手企業が規模にモノを言わせて参入し、既存サービスを短期間で一気に陳腐化させてしまうことがある。これはSaaSに限らず、インターネット業界で何度も繰り返されてきた。そのため、スタートアップとして一番手で参入した企業は、大企業にとって参入障壁になるほど一気に規模拡大して、市場のデファクトスタンダード化する必要がある。
SaaSスタートアップが勝ち抜けるには?
では、SaaSスタートアップ企業が、スタートアップ界隈の限られた市場での競争から抜け、大企業や地方中小企業の顧客を獲得するにはどうすればいいだろうか? これには魔法の杖はなく、地道な営業活動こそが突破口になる。日本企業は,過去数十年において横並び意識が強く、どのような商品やサービスでも、業界内で一定規模のプレゼンスを獲得すると一気に営業がしやすくなる傾向があるため、この性質をうまく活かした営業展開をしていくとよい。 SaaSといった目新しく、一見取り組みにくいサービスも、「業界最大手の〇〇社が使っている」、「地域一番手の△△社が使い始めたらしい」、「SaaS企業が主催するイベントに行ったら最新動向がよくわかった」といったことが積み重なると、一気に雪解けが起きるように、顧客基盤が広がることがある。最初の数社から、十数社の顧客企業を獲得するまでが一番難しく、ここを乗り越えることが肝になるだろう。
営業を強化するには?
新規のSaaSサービスの営業を強化することに取り組み始めているスタートアップも現れている。最初に考えられる一手は、法人営業の経験者を採用することのように見えるが、これが実は難易度が高い。まず、採用したくてもフィットする人財が少なく、採用競争が激しい。次に、フィットした人財を採用できたとしても、大企業からの転職だとスタートアップのスピード感やカルチャーになじまず成果が出ない、特に大手SE ベンダーなどから転職すると、看板もなければ決まったテンプレ―トもなく、ターゲット領域や企業群すら曖昧模糊とした状態で、どのように営業活動を立ち上げるべきか見通しを立てることから仕事が始まる。以前に比べれば、日本でも、楽天やDeNAなど、メガベンチャーと呼ばれる企業が増えているため、そこの卒業生を採用するケースも増えているが、結局のところ、自分たちで試行錯誤をしながら営業活動自体の形を作っていった経験がないと、スタートアップでは成功しにくい。国内で該当する人財は極めて限られた人数だろう。
おわりに
オリンピックが終わると、遅かれ早かれ景気後退が訪れるといわれており、一部の経済指標を見ると、すでにリセッションの予兆が指摘されている。日本におけるSaaSサービスは、米国に比べると数歩遅れての立ち上がりではあるが、企業活動の課題を解決する次世代の仕組みとして、労働生産性が低いと言われ続ける日本企業価値を高める方法として、着実に顧客企業を開拓し使われるようになってほしいと願う。そのためには、華やかだがライトマンに届いていない広告宣伝に偏重したリソース投下から、一社ずつ着実に現場に根付かせるような営業活動に目を向け、トップ層自ら推進していくことが今必要なことではないだろうか。
執筆者
株式会社リブ・コンサルティング
CEOアジェンダグループ バイスプレジデント
松江 朝子